子どもをめぐる裁判
ここ2、3日のブログの内容が、医療や年金といった社会保障制度に関する裁判を取り上げてきましたから、今日からは福祉の問題(裁判)に移りたいと思います。
先日も書かせてもらいましたが、社会福祉士や精神保健福祉士の国家試験が間近ということもあって、「児童福祉論」の整理になればと思っています。
まずは、子どもから。
子どもをめぐる領域では、これまで保育に関するものが比較的多いのが特徴的です。
なかでも保育所の最低基準をめぐるものや、保育所への入所要件に関するものでは、児童福祉施設の量的・質的問題を顕著に現わしているものが多いですね。
保育所の最低基準をめぐる裁判では、「よい環境のなかで保育を受ける権利」を求めたことに対し、判決では憲法二五条、児童福祉法一条ないし三条の趣旨から、児童がひとしく適正な施設のもとに保育養護されるべきであり、厚生(労働)大臣が適切な保護をするに足りると認めて設立した保護基準による保護をうける権利があるとして、債権者である保護者の主張が認められたものがあります(神戸地判昭四八・三・二八判時七〇七号八六頁)。
しかし、同じように最低基準による保護の権利性を求めた事例であっても、児童福祉施設の最低基準について、「行政庁が施設に対して各施設の設置者を監督する際の指針となる行政的な基準であって、行政庁と各施設設置者との間の法律関係を規律するもので、保護者と施設設置者との間の法律関係を規律するものではなく、最低基準を超える施設を利用する利益は反射的利益にしか過ぎない」として、保護者に最低基準違反や施設設備の低下の改善を求める法的請求権が発生するものではないとする事例もあります(東京地判平五・一二・八判例集未登載)。
つまり、公法上の関係として措置を行政処分とする考え方では以上のような判断となり、保育所の入所申請をめぐるものでも、入所申請を認めて保護者の請求を容認したものが存在しますが(大坂地判昭四七・三・二九保育関係判例集一九頁)、一般的に社会福祉をめぐる裁判では、行政処分にもとづくサービス給付であるため、地方公共団体や自治体に措置義務があることから派生する反射的利益に過ぎないという解釈により、サービスの給付やその中身をめぐって請求権や申請権が否定される傾向にあります。
しかし、私法上の関係として保護者と施設との契約関係でみた場合、保護者と保育所との間には児童を保育する契約が成立し、児童の保育を善良なる管理者の注意義務をもって履行すべきことを請求する債権を有するとして、保護者と施設との間に私的な契約の成立を認め、準委任契約があるものと考える裁判事例も存在します(松江地判益田支部昭五〇・九・六判時八〇五号九六頁)。
また保育サービスの受給要件について、児童福祉法二四条の「保育に欠ける」状態の認定をめぐるものも多いです(仙台地判昭六一・七・二九判タ六二〇号九一頁、福岡地判小倉支部昭五五・七・八判時一〇〇五号一五〇頁、福岡地判昭五二・一二・二三判時八九八号四二頁)。
さらに、公立保育所に入所した児童の保護者が保育料の変更をめぐって争われたものもあり、条例によらない保育料の変更・徴収と、地方自治法との関係を争点にしたものが存在します(京都地判平一一・六・一八賃社一二六九号五六頁)。また、同じように保育費用負担額を争点としたものもあります(東京地判昭六二・七・二九判時一二四三号一六頁、最平二・九・六保育情報一六五号三四頁)。
その他、時間外保育と保育料の法的性格を争点としたものも存在します(京都地和昭五六・一二・九判例集未登載)。
これらは保育料の変更をめぐる争いを通じて、保育内容や保育環境といった保育の質を求めたことに特徴があります。
また、保育所内での事故をめぐって、乳幼児突然死症候群(SIDS)の疑いを争点に、保育士や福祉施設、さらには地方自治体の行政責任を問うものも多く存在します。
これは、無認可保育所における乳児死亡と保育所経営者と国・県・市の行政責任を争ったもので、判決では施設経営者に対して保育上の注意義務違反による過失と、窒息死による死亡との因果関係を認め損害賠償責任を肯定する一方、市・県・国に対する原告の請求をすべて棄却し、市に対する国民の保育請求権については憲法二五条、二六条、二七条一項、児童福祉法一条ないし三条の解釈を、個々の国民が国ないし地方公共団体に直接的かつ具体的に請求できるものではなく、宣言的規定に過ぎないものとして法的権利を認めない判断を下したものです(千葉地判松戸支部昭六三・一二・二判時一三〇二号一三三頁)。
また最近の乳幼児突然死症候群(SIDS)を争点としたものでは、嘔吐する可能性の高い新生児をうつ伏せ寝で寝かせる場合につき、助産婦は吐物による気管閉塞が生じていないかを継続的に観察すべき注意義務があるのに、これを怠った過失があるとして医療機関の責任を認めたものもあります(東京地判平一〇・三・二三判時一六五七号七二頁)。
同様に乳幼児突然死症候群を争点としながら、保育士の過失による債務不履行から損害賠償責任を認めたものもあります(神戸地判平一二・三・九判時一七二九号五二頁)。
保育所といった福祉施設をめぐる争いにあっては、福祉の契約化が進み、児童福祉施設もその例外ではないことから、福祉サービスという生存権を保障するシステムのなかで、措置権限者との関係だけではなく、私法上の契約関係における法律構成も今後ますます重要な争点となるところでしょうね。
さらに最近のものでは、親子関係をめぐる裁判が非常に多く存在し、なかでも親子関係不存在確認をめぐるものや、子どもとの面接交渉権、および虐待をめぐるものが主です。
親子関係の確認をめぐるものでは、夫婦が別居を開始してから九か月余り後に出生した子を被告として嫡出否認の訴えによらずに夫が提起した親子関係不存在確認の訴えが不適法とされた事例で、民法七七二条二項の要件を満たす子について同条以下所定の嫡出推定制度の適用が排除されるか否かを争ったものであるが、地裁では子を被告とする親子関係不存在確認請求に関する部分を却下し、高裁では出生期間を定めて早期に法律上の父子関係を安定させ、子の養育環境の確立を最優先させることから、父親と思われる夫からの請求を棄却、最高裁も上告を棄却するものとなっているものもあります(横浜地判川崎支部平五・一〇・二九、東京高判平七・一・三〇、最平一〇・八・三一判時一六五五号一一二頁)。
また出訴期間経過後の親子関係不存在確認の訴えについての事案もあります(東京地判八王子支部平七・六・二二、東京高判平七・一〇・二五、最平一二・三・一四判時一七〇八号一〇六頁)。
そして面接交渉権をめぐるものでは、離婚した父親の子に対する面接交渉を拒否した親権者である母親の不法行為責任が認められたもので、面接交渉権の拒絶と損害賠償請求を争点としたものがあります(静岡地判浜松支部平一一・一二・二一判時一七一三号九二頁)。
判決では、面接交渉権を拒否した事は親権が停止されているとはいえ、原告の親としての愛情に基づく自然の権利を子の福祉に反する特別の事情もないのにことさら妨害したということができるのであって、その妨害に至る経緯、期間、被告の態度などからして原告の精神的苦痛を慰謝するのに金五〇〇万円が相当という判断を下しました。
さらに、離婚調停中に夫婦の一方が幼児を連れ去り、人身保護法にもとづく幼児の引渡請求が行なわれたもの(広島地判平一一・一・七、最平一一・四・二六判時一六七九号三三頁)、くわえて夫婦関係が破綻しているものの離婚にいたっていない場合の面接交渉権をめぐるものなどがあります(福岡家判平一一・七・二九、福岡高判平一一・一〇・二六、最平一二・二.・五.判時一七一五号一七頁)。
最後に児童虐待に関しては、虐待によって子どもを死亡させた母親の責任能力をめぐるものがあります(東京地判八王子支部平一〇・一〇・二六判時一六六〇号一五九頁)。
ここでは、母親の責任能力と心神喪失との関係を争点として、母親が犯行当時非定型的な抑うつ状態にあり、心神耗弱下の犯行である事や、被告人の夫に責められるべきところがあり、姑や被告人の両親にも配慮の足りなかった点が見受けられる事から社会内で更生する機会を与えるのが相当として育児による社会的支援の必要性に触れたものや、内縁の夫による子どもへのせっかんを放置して子どもを死にいたらしめた点につき、母親の傷害致死幇助罪の成立要件を争ったものなどがあります(釧路地判平一一・二・一二、札幌高判平一二・三・一六判時一七一一号一七〇頁)。
また虐待との関連で、児童相談所長が子どもを養護施設に入所させる権限について、児童福祉法二八条の承認申立認容審判に対する即時抗告申立事例(福岡高判昭五六・四・二八家月三四巻三号二三頁)や、虐待が疑われる事案と里親委託または養護施設への入所を承認したものも存在します(浦和家平八・五・一六家月四八巻一〇号一六二頁)。
児童扶養手当をめぐるものでは、制度の周知徹底と国の法的義務を争った永井訴訟(大阪高判平五・一〇・五判例自治一二四号五〇頁)や、児童扶養手当の受給資格について婚姻によらないで懐胎した児童と児童扶養手当との関係についてのものも存在します(奈良地判平六・九・二八、大阪高判平七・一一・二一判時一五五九号二六頁)。
やはり子どもの裁判では、子どもを取り囲む家族との関係をどう整理するのかが、すべてに共通した点といえますね。
2009年01月08日
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